昭和43年06月30日 夜の御理解
遠隔地からお参りをしてみえるあるご信者さんのところの御霊さんの式年祭にあたるというので、お金を言付かっておりました。それで実はこちらにお参りして、おかげ頂かなければなりませんけれども、自分の頂いておる手続きの教会で、今日は式年祭がある。それから仏教でも親戚があるから今日、仏教で午後から、午前中はその自分の以前の手続きであった教会の、教会で式年祭がある。
それでもやはり、心もとないから、こちらの先生にそのお礼を申して頂きたいとこういうわけなんですよね。まあそんなわけで今晩、私、神饌、また改めてし直して頂きましてね、それでまあこのような形で奉仕さして頂いたわけでございますが、これは私にも分からなかったんです、どういう意味かは。それはあの椛目時代からの霊祭がここでしますと、その霊祭にお供えをした神饌物が全部下がったことですね。
もうこれはもう、十何年間ここで霊祭を頼まれると、もうお鏡さんから御神酒から、ここで皆、お茶請けのようなものはみんな、皆さんで頂いて後は全部魚類までさがったこと。それを最近は、まあお鏡さんと御神酒さんと何か主だったものだけが下がると言った様なことになって、最近では全然下がらなくなったですね。私はけどここんところにですね、分からして頂くことは。
いかに神様が信心を育てて下さるということは、本当に御霊も喜び自分達も喜べ、神様にも喜んで頂くようなおかげを、ここに現していかれるためであることが感じられますですね。ですからこれはやっぱ人情使い、はあもうあちらで頂くと、先生がもう全部下げなさる。だからどげなよかお供えしとったっちゃまた、どうせ家戻って来ることはでけんちゅうちから、てんでもうこげな大きな大祭でんお供えせんごたる。
鯛のお供えをしなされたことがあるんです。どうせ頂いたら帰るとじゃけん。まあそんな欲でもなかろうけれども、まあとにかく立派な御霊様のお祭りが、どんどんどこも出来る様になったところがです、ね。やっぱりできるだけ思いを込め、立派なお祭りを仕えて頂いたら、本当、御霊さんも喜んで頂くだろう、だけではなくて自分達はおかげを受けておるということですね。
ただもう真心込めてからお茶一服でお祭りも出来ん事はないのですけれども、やはりそういう言わば、もう例えば思いの限りを尽くして、霊祭なら霊祭を奉仕して頂くところにです、御霊もより助かるなら、それを奉仕するところの遺族の者もおかげを頂く。天地の親神様もその限りない美しい心、ね。そういうことのために言わば還元ができる。言うならばそれだけの金を御霊様のために使うわけでございますから、ね。
ところがやはりそれだけおかげを受けるということの見極めがだんだんついてきた。そしたら今度はそれもそれこそお鏡ひとつ下がりません、最近は。さあそれからというて、あただにこまめると言う様な事はできない。それはその、ね、これだけの思いを込めてすれば有り難いことが分かってきたから、縋って来たから、ね。まあそういうことじゃなかろうかと私は思うのですよ、ね。
ですからお互いがですね、例えば本当に、ね、百円がたの例えばお祭り、霊祭を仕えるよりも千年がたの霊祭を仕えさして頂いた方がおかげを頂くということですね、うん。それはどういうわけかと言うと、それには大変いろいろな理由があります、訳があります、ね。ですから、ただ、なるほどお茶一服でも、ね、塩一つまみでもよし、いりこ小皿一杯ででもお祭りができますけれども、ね。
さあ立派なその神酒神酒、鏡餅でもお供えさしてもろうて、相当の費用を使うてそれを真心込めてさして頂くと言う所に値打ちがある霊祭の。これは霊祭だけじゃない神様のことを、今日のお祭りなんかでもそうでした、ね。今度は祭典費の今日参りましたら今、調べさして頂いただけでも、ちょうど、3万5千円祭典費の方が余っております。昨日お供え祭典費前にみえられた。
その祭典費をもって、お供えを買いに行きましたけれども、もうあれ以上は、もう買ってきておりません。それでいてまだお金が3万5千円余っております。それだけ例えばおかげを頂くということはね、それだけ確かにおかげを頂くことなんですよね。今日5万円のお祭りができておれば、言うなら10万円のお祭りが実際はできたことになるのですからね、おかげを受けて。
そこにはあの神様も喜びゃあ、それをお供えさして頂いた者の、助かりもおかげもそこにあるのです。そこんにきはね、実に不思議な事があるんですよねうん。だからもう本当に私共がね、もう本当にもう招かんようなことじゃいかんです。もう自分でできれるだけのことをさしてもらわにゃいかん。そこにはまた、神様ができるだけのおかげを下さることも間違いない。これは欲得づくでも何でもないと。
言うならばそれだけね、美しゅうなる事なんだ人間が、ね。そしてそれがどういうことになるかと言うと、ね、それが言うならば天の銀行に対する預金にもなっていきよるです。もう言うならね、もうとにかく、さあ一万円のお祭りより10万円のお祭りを仕えた方がいい。10万円のお供えするより100万円のお供えした方が、もうどのくらい有り難いか分からん、ね。ただしお互いが大きゅうなると不浄がつく。
だから不浄の付かん限りに、ね、千円お供えできよったなら2千円お供えできるように工夫していかにゃいかん。それで、例えばなら、自分の財産が減ると言うならもうやめたがええ。絶対、合楽に限ってはないですね、ね。それだけ大きな金額であればあるほどに、それがおかげのもとにもなりゃ、めぐりのお取り祓いにもなる、御霊も助かる、霊祭であるなら。神様も喜んで下さるということになるのですよ。
その辺、信心の世界って不思議なことですよね。今日はそういう意味合いで、お祭りさして頂いたんですけれども、言うなら今日は相当の値がかかったじゃろうと思います、ね。教会でも霊祭をなさるように。仏式でもなされよう。そしてここでも、ね、お参りができませんけれどもと言うてから、お願いをしてある。それだけやはり御霊の助かりを私は感じます。おかげを頂くことを感じます。
どうぞ。